残り3年の命を生きる武士の姿【映画レビュー】『蜩ノ記(ひぐらしのき)』あらすじ&感想(ネタバレ無し)
2020/04/02
TSUTAYA DISCASのレンタルDVDで映画『蜩ノ記(ひぐらしのき)』を観たので、その鑑賞記録です。
あらすじ
右筆(文書作成)のお役目につく檀野庄三郎(だんのしょうざぶろう:岡田准一)は、城内の御用部屋で同僚達と筆を走らせていました。
ところがそこへ強風が吹き込み、あおられて舞い散る紙に飛ばされた墨が、隣にいた同僚の顔や紋付の着物にかかってしまいます。
彼と旧知の友という間柄だった庄三郎は、その様子につい笑ってしまうのですが、大事な紋付を汚されたうえに笑われた彼はカッとなって庄三郎につかみかかります。
あげく小刀を抜いて切りかかる彼に、庄三郎はやむにやまれず同じく小刀を抜き、ついには彼の足に切りつけ深手を負わせる事態になってしまいました。
城内での刃傷沙汰はとても重い罪で、本来ならば双方とも切腹となるところでしたが。
最初に切りかかってきた同僚が家老の甥であったために、それぞれ罪を不問とすると言い渡される庄三郎。
ただ、その代わりとして庄三郎には、ある一つのお役目が与えられました。
それは、藩の歴史書と言える家譜の編纂をしている、戸田秋谷(とだしゅうこく:役所広司)の手伝いをすること。
秋谷とは、7年前に罪を犯し切腹を命じられながらも、編纂中だった家譜を完成させるために10年の猶予を与えられて、家族と共に城下の村に幽閉されている一人の武士でした。
ところが、庄三郎が命じられた手伝いというのは実は名ばかりで、真の目的は秋谷が家譜の中に7年前の自らの罪についてどう書くのかを確認して報告すること。
そして万が一、秋谷が死を恐れて逃げようとした場合、家族もろとも切り捨てるということでした。
早速、秋谷の住む家へと出向いて彼と会った庄三郎ですが、その凛として穏やかな佇まいに疑問を感じます。
秋谷の罪とは殿の側室との不義、そしてそれが露見した際に狼藉をはたらき小姓を切り捨てたことだと聞いていた庄三郎でしたが、彼の目には秋谷がそのようなことをする男には見えなかったのです。
どうしても腑に落ちなかった庄三郎は、単刀直入に秋谷にその真偽について問うのですが、彼はその件については詮索しないようにと言うばかり。
7年前のその罪にはいったい何が隠されているのか、そしてこれからの3年の間に秋谷と庄三郎の関係はどうなっていくのでしょうか。
感想
この作品は、江戸時代の豊後ですから今の大分県あたりを舞台とした時代劇です。
静かな農村での庄三郎と秋谷、そして秋谷の家族達とのやり取りを淡々と描いている部分が多いので、物語にはあまり起伏やクライマックスらしいものはありません。
そのため、岡田准一が演じる庄三郎は文武両道にすぐれていて居合いの達人なのですが、その太刀さばきを披露するシーンは剣術の稽古のところくらいだったり。
せっかく芝居のために剣のトレーニングもしたでしょうに、いわゆるチャンバラ・シーンというのが無いのが、チョット残念なような気もしますが。
この映画は、そういうタイプのものとは違いますからね。
流れる季節とともに、桜の花びらや雪の舞う様子や四季折々の景色を映し出した映像はとても美しく、まさに見所の一つと言えるでしょう。
それから、庄三郎と秋谷の一家とで膳を囲むシーンなど、江戸時代の武家の綺麗な所作も見ていて気持ちの良いものでした。
これこそが日本の良いところだと思うような映像がちりばめられていて、それらを楽しむこともできる映画ですね。
本作での主人公、秋谷は10年の猶予の後に切腹という命を受け、それを粛々と受け入れて残る人生を過ごしていますが。
今の時代とはまったく異なる価値観の世に生きる武士の心というのものが理解できないと、この作品はただただ理不尽で納得のいかないものと感じられるかもしれません。
そもそも切腹なんていう自分で自分の腹を切るような行為自体、あまりにも野蛮で受け入れ難いものではありますが。
ただ秋谷には、藩のためとか家のためという思いだけではなく、信じて仕えた主君との約束を守りたいという信念のようなものもあったんじゃないかなという気がします。
そういう信念は、今の時代でも何となく理解できるものではないでしょうかね。
作品データ
●監督
小泉堯史
●出演者
役所広司
岡田准一
堀北真希
原田美枝子
●日本公開年
2014年
●上映時間
129分