死を超えた母子の思い【映画レビュー】『母と暮せば』あらすじ&感想(ネタバレ無し)
2021/07/10
TSUTAYA DISCASのレンタルDVDで映画『母と暮せば』を観たので、その鑑賞記録です。
あらすじ
1948年の8月9日、十字架の立ち並ぶ長崎のとあるキリシタンの墓地で、2人の女性が墓参りをしています。
1人は原爆で息子を失った福原伸子(吉永小百合)という助産師、そしてもう1人はその息子の恋人の佐多町子(黒木華)。
伸子は息子の墓を見つめながら、町子に対して、そして自分自身にも言い聞かせるように「あの子のことはもう諦めましょう」と、遺体も見つからない息子の死を受け入れる言葉をつぶやくのでした。
遡ること3年前の同じ日、伸子の息子の福原浩二(二宮和也)は元気に家を出て、学校へと向かいました。
父と兄を戦争で失った彼は、病弱な母のためにと医者を志し、医学校へと通っていたのです。
それは朝の11時を過ぎた頃、学校の教室の窓際の席で講義を受けていた彼が、ノートをとろうとペンを手にしたその時。
一瞬のことでした。
「あっ!」と小さな叫びが聞こえたような気がします。
窓の外から押し寄せた眩い閃光は、あたりを真っ白な光で埋め尽くし、同時に机の上のガラスのインク入れをグニャリと溶かす高温で、すべてを焼き払ってしまったのです。
浩二を含めて、たくさんの人が灰も残らないほどに焼かれ、そして猛烈な爆風で建物ごと吹き飛ばされてしまいました。
後に残された母の伸子は3年の間、息子の骨の1つでも見つからないかと捜し求め。
あるいはどこかで生きているかもしれないと希望を捨てきることができず、浩二の痕跡を尋ね歩いていたのですが。
あの日からちょうど3年目の今日、ついに諦めをつけたのでした。
そして墓参りから戻り、町子も自分の家へと帰って行った後、夫も二人の息子もいない寂しい家でポツンと一人。
改めて自分の気持ちを確認するように、息子の遺影に向かって手を合わせていた伸子は、後ろに何かの気配を感じてフッと振り返ります。
「浩二、あんた・・・浩ちゃん?」
そこにいたのは、死んだはずの息子の浩二でした。
彼は屈託なく笑いながら、「いつまでん僕のこと諦めんから、なかなか出てこられんかったとさ」と、生きていた頃の様子で伸子に話しかけるのです。
それを見た伸子は驚くよりも嬉しそうに微笑みながら、幽霊となって現れた息子のことを受け入れるのでした。
感想
この映画は、作家の井上ひさし氏が晩年に構想していた「ヒロシマ」・「ナガサキ」・「沖縄」をテーマにした物語を山田洋次監督が「戦後“命”の三部作」と名付け、その内の1つを引き継いで映像化した作品とのことで。
広島を舞台とした井上ひさしの戯曲『父と暮せば』と対になる形で、長崎を舞台にして幽霊となって現れた息子とその母との短い間の生活を描いています。
息子の浩二は長崎に落とされた原爆によって死んでしまうのですが、その被爆時の瞬間を描いたシーンが、これまでのどの戦争映画の被災シーンよりも胸に残りました。
原爆と聞くと頭に浮かぶキノコ雲はもちろんのこと、派手な演出は一切無いのに、その恐怖がハッキリと伝わってくる映像描写。
ここは、さすが山田洋二監督だなと思いましたよ。
そして幽霊となって現れた浩二は、母親との会話のシーンではとても元気で、生きてるときとまるで変わらすおしゃべりで陽気なんですが。
フト自分が生きていた頃のことを思い出したり、そういった日々にはもう戻ることができないと感じたときの、とても寂しげで悲しげな様子には胸が詰まる思いがしました。
その浩二や他の人々と母親との間のやり取りも、優しさがあふれていて。
そういった様子を演じる、二宮和也や吉永小百合もすごいと感じましたね。
やはり最後はハッピーエンドとはちょっと言えない結末にはなりますが、それでも観終わった後に心がジンワリと温まるような気持ちになる、良い映画でしたよ。
作品データ
●監督・脚本
山田洋次
●出演者
吉永小百合
二宮和也
黒木華
●日本公開年
2015年
●上映時間
130分